長崎市議会 2021-06-28 2021-06-28 長崎市:令和3年第3回定例会(5日目) 本文
内容としては、被爆の実相を示す写真パネル、ロザリオや動員学徒の遺品などの実物資料、また、市民が描いた原爆の絵などを展示する予定ですが、あわせて、昨年度作製しました柱時計のレプリカも埼玉県飯能市の会場で展示する予定です。
内容としては、被爆の実相を示す写真パネル、ロザリオや動員学徒の遺品などの実物資料、また、市民が描いた原爆の絵などを展示する予定ですが、あわせて、昨年度作製しました柱時計のレプリカも埼玉県飯能市の会場で展示する予定です。
1944年、昭和19年の10月25日のアメリカ空軍B29爆撃機による大村大空襲は多くの市民を初め、何と全国から来た動員学徒、工員等が犠牲となり、神近さんは、その戦没者を慰霊するための第21海軍航空廠殉職者慰霊塔奉賛会の会長として長きにわたり御活躍を賜り、さらには関係の歴史的文化遺産となっております数多くの資料、写真、遺品等を大村市に御寄附いただき、その一部をプラットおおむら、旧浜屋デパートの5階の近代資料室
万坪の土地に東洋一の大規模な飛行機生産・整備工場である第21海軍工廠が建設され、同時に何と5万人の従業員の住宅、さらには新たな海軍病院の建設を含めて、わずかに2カ年間で建設するという巨大プロジェクトを完成させ、零戦の1つと言われました紫電改と流星を生産、そのことが敵国アメリカにわかり、それが要因となり、昭和19年10月25日にアメリカ空軍のB29によって爆撃され、大村大空襲は大村市民を初め、若き動員学徒
また、動員学徒死没者名簿によりますと、137人の生徒が動員先で死亡し、教職員も多く犠牲となりました。現在、淵中学校の敷地内には平和ゾーンを設けており、長崎市被爆建造物等の取扱基準において、保存対象Aランクの淵国民学校遺壁、同じくBランクの旧体育館遺壁と玄関の石柱が残されております。また、平成4年度には卒業生の皆様のご尽力により、被爆モニュメントも建立されている状況でございます。
南方方面やシベリアなどで戦死なされた方々の御霊を安置、慰霊されているのでありますが、ここ大村には、太平洋戦争中に東洋一の飛行機製造工場と言われた第21海軍航空廠があり、昭和19年10月25日に米軍の空襲によって壊滅的な打撃を受け、工場で働く工員や動員学徒ら300余名が亡くなっております。
淵中学校の前身であります淵国民学校は、爆心地から約1.2キロメートルに位置していることから、原爆により多大な被害をこうむった学校であり、鉄筋コンクリートづくり3階建ての校舎と体育館は外壁と骨組みのみを残して崩壊し、動員学徒死没者名簿によりますと、137人の生徒が動員先で死亡し、教職員の多くも犠牲となっております。
住吉トンネルは、強制連行された朝鮮人の方々によって掘削され、動員学徒が魚雷を製造していました。被爆時には多くの被爆者が逃げ込み、避難場所にもなったところであります。私も生徒を連れていったことがありますが、トンネルに入って壁に残るつるはしの跡に手を触れ、空気を感じ、元学徒動員の方々から被爆当時の話を伺いました。
今次国会で社会党も参加します連立与党3党で合意し、採択されました、いわゆる戦後50年問題国会決議、歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議について、私は歴史認識の違いを乗り越えた社会党、自民党、さきがけ3党の努力に敬意を表するものでありますが、戦後50年を契機に、島原市においても非核自治体宣言や、軍人、軍属の戦没者に限らず動員学徒や原子爆弾による犠牲者など、一般市民、外国人を含めた幾多の戦争犠牲者を